日本の統治下だった台湾で嘉義農林学校野球部を率い、1931年夏の甲子園で準優勝に導いた愛媛県松山市出身の故近藤兵太郎さん(1888~1966年)の命日を翌日に控えた18日、親族や教え子ら計約10人が市内で墓参し、近藤さんの功績を後世に伝える決意を新たにした。 近藤さんの四女の夫、岩崎徹さん(79)=同市枝松5丁目=と、戦後に近藤さんが監督を務めた新田高時代の教え子らでつくる「近藤兵太郎氏をたたえる会」実行委員会のメンバーらが同市御幸1丁目の千秋寺を訪問。しきびや近藤さん直筆のボールなどを供え、手を合わせた。 教え子の高山昌和さん(79)=同市辰巳町=は近藤さんの指導や言葉を振り返り、「厳しい人だった。社会に出ても負けないように仕事をする思いを持たせてくれた」としのんだ。
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