第2次世界大戦中の1944年6月29日、鹿児島県の徳之島沖で米軍の魚雷を受け沈没した輸送船「富山丸」の愛媛関係犠牲者をしのぶ慰霊祭が23日、愛媛県松山市御幸1丁目の県護国神社であった。 県富山丸遺族会(芳野勝三会長、70世帯)が毎年開いており69回目。富山丸は四国や九州の兵らを乗せ沖縄に向かっており、犠牲者3724人のうち愛媛関係者が約370人いたという。 23日は県内全域から41人が出席。玉串をささげ、夫や父、きょうだいの冥福を祈り、平和への願いを込めた。 愛南町の女性(70)は自身が1歳になる前に父を亡くした。「出征前の父は『わしが行くぐらいやから日本は負けるやろな』と言っていたと母から聞いています」と語り、瞳を潤ませた。
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