1931(昭和6)年、日本の統治下だった台湾の「嘉義農林」を夏の甲子園で準優勝に導いた愛媛県松山市出身の近藤兵太郎監督(1888~1966年)の功績を振り返る講演会が12日、松山市大街道3丁目の伊予鉄会館であった。 近藤監督は松山商業で選手や監督として活躍後、台湾に渡った。46年に帰国して新田高校などで野球部の監督を務めた。 講演会は愛媛経済同友会が愛媛の偉人を知ってもらおうと開き、約60人が参加。近藤監督に新田高野球部で3年間指導を受けた亀田健さん(77)=東京都八王子市=が当時の練習の思い出などを語った。
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